自己紹介って自分のことを知ってもらうためのものですよね。音楽というジャンルからの自己紹介(その③)
料理人になる
高校を卒業した僕は、働きながら調理師学校へ行き、
地元ではなく、大阪で料理人として就職しました。
調理師学校時代は、料理屋さんで働かせてもらいながら、そこの寮に住まわせてもらってました。
キツくて音楽どころじゃない!!!
毎日必死で働いて、寮に帰って寝るしかできません。
料理の世界はこんなにもしんどいのか、
と。
(ナメてたわけじゃないけど、想像以上だった)
それでも、週1日ぐらいは音楽を聴いて、ギターを弾いてました。
そんな一年を過ごし、調理師学校を卒業。
お世話になった料理屋さんでの勤務も終わり、
大阪市内のホテルに就職しました。
そこは、
さらにキツい職場でした。
一瞬のスキをねらって、
立って息をすることが精いっぱいぐらいの感覚
(わかりにくい?)
自分のことなんて何も考えられない。
(のちに慣れていなかっただけと気づく)
それでも、
あきらめたり、やめたりすることができない体育会系の思考が刷り込まれていた僕は、ストレス解消に筋トレで体を鍛え上げ、平気なふりをしながら必死で働きました。
(過度な筋トレが原因でヘルニアになる)
厳しい先輩たちのなかに、ちょこっと認めてくれる人が出てくるまでになったころ、
厨房の先輩のNさんが、バンド経験者(元ドラマー)であることがわかりました。
(ちょー厳しい先輩)
その人に僕が音楽が好きなこと、バンド経験者であることを話すと、
「おまえ、料理人で成功したかったらギターはやめろ。俺は料理人として成功したいから音楽をやめた。音楽続けたかったら、ここは早めにやめたほうがいい。中途半端は何も生み出さん。」
!!!
そんなぁ。。。
でも、その通りだとも思いました。
が、
「Nさんはそうかもしれませんが、僕は両立できると思ってます」
などとほざいてしまいました。
翌日からNさんからの風当たりが異常な強さに。。。
自業自得?
それでもメゲずにやってました。
そのころ、
僕の住んでたボロアパートのすぐ近くに音大があって、
楽器を持ったひとがウロウロしているのをよく見かけていました。
最寄り駅の改札横の掲示板には、
たくさんのバンド募集の紙が貼ってありましたが、
ほとんどが、ベースとドラムの募集。
まあ、そうですよね、と思いながら、
ちょこちょこチェックしていると、
「ギター募集、年齢性別経験問わず」
を発見!!
当時、携帯電話もなく、部屋にも電話がなかった僕は、
公衆電話から電話する。
ぜんぜん出てくれない。。。
おそらく2時間ぐらいはかけなおしたと思います。
で、
やっとつながり、
次の休みに梅田のスタジオでオーディションとなりました。
当日、
他のメンツのプロフィールを聞いてびっくり!
全員、音大の3回生。
音楽に触れることが日常の人たち。
クラシックばっかりだと楽しくない、
学校とは関係ないジャズをやりたいって人たちの集まり。
場違いな空気を感じながら、
スタジオで緊張しながらギターをケースから出す。
!!!!!
一弦が切れてる!!!
スペア持ってきてないし。。。
最悪。。。
みんなちょっと笑いながら、
「弦切れてるやん。一弦なしでも何かできるの?」
と聞かれ、
とっさに出た言葉が、
「もちろんですよ。あと5本も残ってます」
爆笑してもらいました。。。
「キミ、おもろいなぁ。ギター弾いてもらってないけど、合格!」
!?
いいの?
「でもせっかくスタジオ借りてるから、ちょっとジャムってみる?弦は5本もあることだし(笑)」
そこから新しいバンド生活が始まりました。
しかも初めてのジャズバンド。
が、
僕はホテルの料理人です。
当時はバブル経済の真只中。
ホテルでは、しょっちゅう企業さんの宴会が入ります。
職場は交代勤務で決まった曜日の休みなどありません。
しかも、休みの日には他のホテルやレストランにヘルプ出勤が当たり前。
それ以外も、個人的に勉強しに行ったり。
なので1ヵ月に休みは3日ほど。
最初からバンド活動は難しい状況でした。
それでもみんな優しくて、
僕の都合に合わせてくれていました。
そのメンバーのベーシストの人が、
実は元ギタリストで、
いろいろやっているうちに、ベースが好きになって、
現在ベーシストだとか。
なら、ちょっとギター弾いてみてよ、
ってな感じでお願いすると、
僕よりはるかに高い技術レベル。
僕には弾けない難しいスケールも簡単にこなす。
恥ずかしい。。。
こんなすごい人の前でへたくそなギター弾いてたなんて。。。
落ち込んでると、
「うまい下手なんて大した問題じゃないやろ?俺はお前のギターのほうが好きやで」
(やさしすぎる…)
「俺がギターじゃなくてベースを選んだのは、ベースのほうがおもしろかったから。おもしろいと感じてやったほうが自己表現もできていいやろ?」
(確かに。でもさっきの見て僕は自分のギターをおもしろいと感じれませんよ)
で、
その人が、
「技術なんてどっちでもええねん。人が魅了される音楽は、必ずしも技術力と比例するわけじゃないし。すごいなって思うギタリストを見たらわかると思うけど、意外と昔の曲をカヴァーしたりしてるよ。その人たちは、原曲の技術の部分では無いところに魅力を感じたんじゃないかな。」
そういえば、
僕がジミヘンを聴きだしたきっかけは
スティーヴィーレイヴォーンのカヴァーから。
他にもいっぱいある。
同じじゃないかもしれないけど、
僕も何か感じるものはありました。
歴史に残る名曲たちは、
世代や人種など関係なく、
なにかを刻み込んでいったのかもしれません。
その言葉に感銘を受けた僕ですが、
その後、ほどなくしてバンドを脱退し、
仕事も辞めることになります。
(仕事のストレスや仕事の将来性への不安、交通事故、自分の音楽への行き詰まり等、いろんなことが、短期間で重なりました)
それから
長くなるので当時の詳細は省きますが
(もうすでに長い…)
それ以降、
音楽は聴き続けるも、ギターはほとんど触らなくなりました。
で、
急に話は飛んで、
1997年。
僕は自分の店を持つことになりました。
(今までの話はなかったことのような展開)
その当時、(実際はそのちょっと前)
アルバム、サーカスの中で、
「ロックンロール・イズ・デッド」
という曲を発表してしまいます。
「ロックは死んだ」
このショッキングなタイトルに、
僕はいろんな意味で震えました。。。
古臭く感じるイントロリフ、
挑発的なその歌詞は、
過去のロックスターを揶揄したようなものかもしれませんが、
このタイトルに、
「自分を含め、もう新しいロックンロールなんてつくれない」
のようなものを感じてしまいました。
ロックに限らず、
「新しい音楽のネタは、すでに出尽くした」
そのことに気づいたが故のタイトルではないのかと。
(おおげさ?)
僕が「最近新しい音楽を聴いてない」
一番の理由は、
「もうネタが出尽くした近代音楽からは、ヒトの感情を震わせるような新しい音楽は生まれてこないんじゃないか?」
みたいなことを思っているからかもしれません。
(悲観的に考えてるわけじゃないですよ)
はじまったものにはすべて終わりがある。
いきなり哲学的な感じですが、
(マトリックス?)
たぶんそうだと思います。
ですが、
それは、終わりをむかえたものがあるという事実だけで、
それに付随するものすべてが終わったということではないように思います。
ロックは死んだかもしれないし、新しい音楽のアイデアの源泉は枯渇したかもしれません。
だからといって、
音楽がこの世からなくなるわけではありません。
誰かがつくり上げてきたものは、
確実にかたちを残し、そこに存在しています。
終わりを迎えることは、なくなることではなくて、
そこに確固たるものが残ったという事実があるということだと思います。
悲しむべきことではなく、
そのおかげで、
ひとつのものが、確固たる状態で生まれたと、とらえるべきかもしれません。
終わりを迎えることは、ゆるぎないものが生まれた証拠である。
僕はそんなものたちから、いろいろ学びながら
日々、前へ進みながら生きています。
なんか最後が分かりにくい感じになってしまった。。